「すみだ今昔物語」(前編:古代~江戸末期)

何気なく、住んでいる町「すみだ(墨田区)」。。

これから大きく変わろうとしています!

「産業集積の下町」から、「国際的観光都市」

そこで、

あらためて「すみだの歴史」について学ぶことで、

「すみだ」の良さを再認識できるかと思います。。



※資料等は墨田区HP等より引用しております。

--------------------------------------------
(古代)

墨田区は全域海の中。。

やがて、足立区、葛飾区から墨田区北部までが陸地化し、

海岸線にが点在するようになった。。

 地名に名残がある・・・
  ・柳が生えていた島⇒柳島
  ・牛が寝ている姿で浮いている島⇒牛島  
  ・隆起した土地⇒押上
  ・入り江にある小さな村⇒小村江(小村井
  ・亀形の島⇒亀島(後に井戸を作ったため、亀戸

--------------------------------------------
(平安時代ごろ)

平安時代では、都人の知っている板東(田舎←すみだ)の話題といえば、「梅若丸」在原業平ぐらいであった。。


「梅若権現御縁起」
画像

物語の内容は、主人公梅若丸の悲劇の一生が3巻に分けて描かれています。

上巻では梅若丸の誕生と学問修行に端を発する争いによって比叡山から下山するまで。

中巻では人買いにより東国へ連れ去られて隅田川のほとりで病死するまでが描かれ、

下巻では母親が梅若丸の災難を知って入水し、また霊となった梅若丸が権現として人々の願いを聞くという場面で終ります。
--------------------------------------------
(鎌倉~室町時代)

鎌倉時代には、

隅田川を挟んで「葛西氏」・「江戸氏」・「豊島氏」がにらみあっていた場所であった。

争いはやがて時が変わり、太田道灌が「江戸氏」・「豊島氏」を滅ぼすことになる。

道灌は隅田川を防衛ラインとして、「葛西氏」に変わって墨東を支配する「千葉氏」と対峙することになる。

室町(戦国)時代に入ると、関東一円は「小田原北条氏」が支配する。

--------------------------------------------
(江戸時代 初期)

1590年(天正18年)、徳川家康が関東に入府。
すぐに、北部(向島)一帯を検地。
当時、南部(本所)は低湿地帯で人が暮らせる状態でなかった。

 地名に名残がある・・・
  ・河原に石がゴロゴロしている⇒石原
  ・漁師が投網を干している場所⇒横網


明暦大火以後

画像


1657年(明暦3年)に発生した明暦の大火が転機となり、「墨東」の重要性が浮上する。

10万人を超える焼死者の埋葬場所を求められた。
 
1657年(明暦3年)に回向院が創建された。

そして、

回向院に参拝するために、1659年(万治2年)に、大橋(両国橋)が架橋された。

また、

防災都市計画にそった「開拓地」とされた!

1659年(万治2年)に、「亀有(本所)上水」・「堅川」・「横川」・「十間川」・「五間堀」・「六間堀」・「割下水」等の開削が行われた。

 ※隅田川に平行して開削されたために、「横川」と呼び、その横川から垂直に開削されたために「竪川」と呼ばれた。

1660年(万治3年)に、「本所築地奉行」を任命(山崎四郎左衛門徳山五兵衛)し、

碁盤の目状に道路を整備し、一之橋~五之橋を架橋した。

--------------------------------------------
(江戸時代 中期)

徳川綱吉の登場により、本所の再開発が開始され、水戸家柳沢吉保らに屋敷を与え、
「新大橋」・「永代橋」を架橋した。

地名に名残がある・・・
 ・緑、相生、松阪←祝詞を表す言葉
 ・菊川←町の西に小さな菊川が流れていたため

横十間川以西に武家・町家が並び始める。

吉良上野介の隠居所として1550坪の屋敷を与える。


1717年(享保2年)、徳川吉宗は、

隅田川堤の護岸補強江戸市民の娯楽のために、

「桜・桃・柳」を150本ずつ植えた。(春の風物詩である“墨堤の桜”のはじまり)

1733年(享保16年)には、川施餓鬼(かわせがき:供養)の一環として、

花火を10発打ち上げた。(夏の風物詩である“両国の川開き”のはじまり)

画像


--------------------------------------------
(江戸時代 末期)

文化文政時代(1802~1815年)は、

江戸文化の完成期。

拠点は本所・深川であり、

「武士」と「町人」が向かい合わせて暮らした下町ならではの融合した文化が生まれた。

当時、最もにぎわったのは両国界隈である。

小泉与兵衛による“握り寿司”の発明と、素朴な魚介類を出して人気の料亭があり、

江戸中を廻っていた“相撲”が、1833年(天保4年)に回向院を定場所とした。

また、

犯罪の凶悪化による火付盗賊改め方を設置した。

長谷川平蔵遠山金四郎の私邸も本所にあった。

「嘉永新鐫本所絵図」
画像


こちらでも、当時の地図が見れます。

--------------------------------------------
その他、江戸時代末期の「すみだ」にゆかりのある人たち


葛飾北斎割下水付近で誕生した

市川団十郎(五代目)、尾上菊五郎(五代目)←向島に隠棲した。

立川焉馬立川に住む大工の棟梁

勝海舟男谷精一郎(講武所剣術師範)、山岡鉄舟両国に住んでいた

栗本鋤雲(外国奉行)←石原に住んでいた

岩瀬忠震永井尚志(ともに外国奉行)←墨田に住んでいた

成島柳北(外国奉行)、榎本武揚向島に住んでいた

江川太郎左衛門(韮山代官)、ジョン万次郎に住んでいた

・大塚同庵(西洋砲術家)←東駒形に住んでいた

原田左之助永倉新八太平にて、「新撰組」から分離して「新徴組」を結成

--------------------------------------------

幕府が倒れると、

大名たちが国に帰り、薩長を中心とした西国の藩士ら

明治新政府の役人として上京し、山の手の旗本屋敷に入る。

下町は

下級旗本や御家人が暮らした。


下町は、江戸をひきずったまま、

新時代に突入していくことになる。。





「すみだ今昔物語」(後編:明治~現在)に続く


ネジのことなら。。。
職人さんのお助けサイト
画像


店舗デザイン&資材
画像


ねじ価格比較.com
画像