「まち歩き観光ガイド」。。初体験!!

今週の日曜日に、

診断士の研究会で、「地域ブランドセミナー」を行う予定です。


内容としては、

・診断士が「地域資源活性化」に取り組む際のプロセスについて

・地域活性化における観光振興の役割

墨田の現状と課題

・ディスカッション:地域資源への今後の診断士の取り組み





一人でも、多くの外部の方にも、

墨田区に興味を持っていただければと思い、

セミナーの前に、「まち歩き観光」で、

下町すみだに接していただこうと考えました。。



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しかし、

あいにく観光ガイドの方が研修のため、

人員がいないとのことなので、

急遽、私が観光ガイドをすることになり。。。




当日は、「両国南コース」を予定!

(両国観光案内所)スタート!
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(回向院)
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回向院は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。

この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。

この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。

当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。

鼠小僧次郎吉の墓

海難供養碑(大黒屋光太夫の名も)

旧国技館跡



(旧両国広小路)
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明暦の大火(1657年)の教訓から避難路として両国橋が架けられ、橋に沿う一帯が「火除け地」に指定されました。

この火除け地が両国広小路となり、江戸三大広小路のひとつとして上野、浅草と並び、見世物小屋、芝居小屋、納涼船などで賑わう有数の盛り場となりました。

与兵衛鮨発祥の地

ももんじや

岡場所



(江島杉山神社)
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杉山和一(すぎやま わいち)鍼の施術法の一つである管鍼(かんしん)法を創始者。

杉山流鍼術の創始者、杉山検校が屋敷隣に信仰する江ノ島の弁財天を建立したのが始まりです。

ここには、江ノ島の弁天洞窟を模した洞窟があり、その奥深く弁財天が祭られています。

また、杉山検校、笋の八橋検校の碑がありますが、杉山検校の頌徳碑は、彼の肖像のレリーフと点字で銘文を刻み込んだ珍しいものです。

杉山和一の献身的な施術に感心した徳川綱吉から「和一の欲しい物は何か」と問われた時、「一つでよいから目が欲しい」と答え、その代わりに同地(本所一つ目)を拝領した。



吉良邸跡)
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元禄12年12月14日夜、大石内蔵助以下赤穂浪士47名が討ち入った、吉良上野介の屋敷はここにありました。

昭和9年、地元の有志が発起人となって、屋敷の中庭にあった「吉良首洗いの井戸」を中心に土地を買い、東京市に寄付、それを公園としました。

吉良邸は広大なもので、この公園はその76分の1にすぎないということです。

幕府の儀式、典礼を司る高家の格式を示すなまこ壁の長屋門を模したコンクリート塀がわずかに往時をしのばせます。

毎年12月14日には、地元の有志によって義士祭が、そしてあまり知られていませんが、毎年12月第2土曜日・日曜日には吉良祭が行われます。

小林平八郎葛飾北斎



(共立学舎跡)
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尺振八(1839~86)は、下総高岡藩の医師の子として生まれる。

ジョン万次郎や英学者の西吉十郎から英語を学び、文久元年(1861)、幕府外国方に通訳として勤める。

文久3年に遣欧、慶応3年に渡米と幕府使節団として西洋文明に接する。

渡米のおりは福沢諭吉や津田仙と共に教育施設も視察し、帰国後はやがて、諭吉が「慶應義塾」を、振八はこの地に「共立学舎」をそれぞれ開くことになる。

学舎は、寄宿制の英語塾であったものの、漢学教育も行い洋漢兼学であり、開塾後わずか半年で百名を超える生徒が集まったという。



芥川龍之介文学碑)
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芥川龍之介は大正から昭和にかけて「河童」「歯車」「或阿呆の一生」など特異な短編小説を遺して、36歳で自ら命を断ちました。

彼はこの地で19歳までの多感な時代を過ごしました。

すぐ近くの両国小学校に通い、府立第3中学校、今の両国高校に進みました。

その後はここに戻ることはありませんでしたが、両国界隈の情緒、大川端の風情に生涯、深い愛着をもっていたようです。

両国小学校の正門前には、(杜子春)の一節を刻んだ碑が、両国高校の校庭には芥川19歳のときの随想(大川の水)を刻んだ碑が建てられています。



勝海舟生誕地)
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幕末、咸臨丸の艦長として日本人初の太平洋横断を成し遂げ、幕府瓦解のときは、官軍の西郷隆盛と会見し、江戸城の無血開城に成功、江戸の街を戦火から救った幕臣勝海舟。

彼はここにあった父の実家男谷家で生まれました。

少年時代は本所入江町、今の緑四丁目で過ごし、向島の弘福寺で禅の修行をし、浅草新堀端の島田道場で剣学ぶという、下町育ちだったのです。



長谷川平蔵遠山金四郎の住居跡)
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池波正太郎の人気小説「鬼平犯科帳」の「鬼平」こと長谷川平蔵の屋敷は菊川のこの地にありました。

そして、その同じ場所に40年後、ドラマや芝居でお馴染みの「遠山の金さん」こと「北町奉行遠山金四郎」も屋敷を構えました。

もっとも、平蔵のほうが敷地は大分広かったそうです。

天明5年、長谷川平蔵は火付盗賊改方の役に就きました。

彼の剣術の腕がどれほどのものかは不明ですが、有能な役人であったらしく、石川島に人足寄場を設けたことが知られています。

一方、金さんのほうはもう幕末も近いころ、まず北町奉行に、次いで南町奉行に就任しました。

背中の桜吹雪の刺青はフィクションのようですが、彼もまた有能な役人だったということです。





一応、こんな感じで考えています。。

「ipad」が役立ちそうです・・・


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